2006年09月29日

5 信長の野望と三国志

 前に全然働かないという話を書いたら、当時の会社関係者からお叱りを受けたり、仕事相手からすっかり軽蔑されてしまった。そこで今回その言い訳ではないが、さらにその前の会社での働きぶりはそんなものではなかった、ということを紹介しよう。

 その社で私はパソコンのゲーム誌を担当していた。当時、パソコンは今みたいに一般には普及していなく、ごく一部のマニアのための機械であった。インターネットもメールも無い時代である。当然、私もそんなものには1ビットも興味はなかったが、ただたまらなく好きなゲームが2つだけあった。「信長の野望」と「三国志」、シミレーションゲーム初期の傑作である。大学時代の先輩宅で初めてこのゲームに触れたときの衝撃は忘れない。あまりの面白さに、毎日通ってついには出禁になってしまった。
 それでもゲームの事が頭から離れない。つまり私がゲーム誌を志望したのは、たんにこのゲームがやりたかったからなのだ。
 職場においてパソコンを全くいじれない私が出来るのは、ただひたすらゲームをやりつづけること。まずは「信長の野望」だ。奥が深いゲームで、一度全国制覇しても、今度は信長以外の武将でいろいろと試したくなってくる。その頃の私は残業も厭わず、ゲームに熱中し過ぎて終電を逃すこともしばしばだった。
 そうこうするうちに2カ月ほどが経ち、さすがに疲れてきた。さて次はお待ちかねの「三国志」。こっちの方がよりスケールが大きく緻密なゲームである。
 そんな私に対し会社側は始めは静観していたが、しびれをきらし遂に任務を与えてきた。それは年度末のゲーム総カタログの書店向け宣伝チラシを作るという仕事だ。私はパソコンはさっぱりだが、デザインにはちょっと自信があった。そこで考えついたのが、大きなトリのお腹にパソコンのゲーム画面が並んでいるというものだった。その案を早速編集長に報告すると、1分くらい黙ってしまって、その後「やってみなさい」と一言だけ言った。
 チラシ1枚ごとき集中すればすぐに出来るのだが、私には「三国志」という使命があった。で、ゲームの合間に思い出したようにレイアウトなどするので、遅々として進まない。その分、三国志の方は快調だった。そして数カ月後にはやはりあらかたの事はやり尽くしてしまった。
 最後に思いついたのは、歴史の真実は如何に!?ということだ。このゲームは武将をコンピュータにコントロールさせるという機能があった。そこで登場するすべての武将をコンピュータにやらせてみたのだ。私はただじっと画面を眺めているだけである。それでも途中まではエキサイティングだった。そのうちだんだん妙な事になってきた。頻繁に行われていた戦いが激減したのだ。
 このゲームは史実に基づいて登場人物のおおよその寿命が決められているため、だんだんと武将が減っていき、ついには全く戦いが行われなくなってしまったのだ。
 残る興味は、最後に生き残るのは誰かということだ。ただひたすらに時が過ぎるのを待ち、武将が死亡したという報告画面をだけ見続けて1週間、ついに歴史の真相が明かされる。
 最後に残ったのは……諸葛孔明のライバル司馬懿忠達の血を引く「司馬炎」であった。実際の歴史でもこの司馬炎は三国の時代を終わらせ、新しい「晋」の初代皇帝となっている。ということでめでたしめでたし。
 丁度その頃、チラシの仕事も一段落ついた。やるべきことは全て終えた。
 結局、私がその会社に在籍した半年の間でやったことといえば、トリのお腹にゲーム画面が配されたB5サイズのチラシを1枚作っただけである。まさに動かざること山の如し。
 
 
posted by at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記