2009年04月28日

全部壊してゼロになれ

 いい年をしてヤンキー漫画もないものだが、好きなものは仕方がない。「クローズ」の続編が読みたいがために、月刊誌の発売日の朝には必ず立ち読みするし、全巻持っているのに総集編をコンビニで目にするとつい買ってしまう。
 その原作以前の世界を描いたのが「クローズゼロ」という映画だが、これが非常に面白かった。映画は原作マンガに抵触しないように、それでいて世界観を壊さないようにうまく作られている。そこで、公開されたばかりの「クローズゼロ2」にも行ってみたが、前作よりもさらに素晴らしい。脚本とセリフが練れていて、俳優陣が見事だった。 原作ファンが楽しめるネタも随所にちりばめられている。
 相手方の大将役がとても印象に残ったので調べてみたら、なんと我が敬愛のCharの朋友、ドラマージョニー吉長のご子息、金子ノブアキ君だったのではないか。ドラマーとしての彼は知っていたが、いつの間にこんなにいい役者になっていたとは……そんな事を発端に映画の事を思い出したら、どうしてもまた観たくなってしまった。
 同じ映画を2日後にまた見てしまうなんて、初めてのことかもしれない。

 良い映画や音楽を聴いた後の30分の余韻、この時間は私にとって至福のエクセレントタイムである。2回目の鑑賞を終え、この時間をゆっくりと楽しもうとパンフレットを買い、あえて空いている各駅停車に乗りこんだ。すると、隣に座った30前後のサラリーマンがパンフレットを覗き込み、「面白かったですか?」などと言うのである。常に無愛想なので、見知らぬ人に話しかけられるなんてヘマはまずしないのだが、この時はよほど緩んでいたに違いない。だが、こっちも悪い気はせず、ついつい話し込んでしまった。
 パンフレットを見ながら、ネタバレしなように気を遣い映画のハイライトなどを解説してあげた。いったい自分は何をしているのか!?  さらに今回の見所として、原作にうまくつながるように作られているという部分を熱心に語った。だが、その時はなぜか相手の反応が薄かった。私は(きっと彼は原作が大好きなんだ。だから、原作を汚されぬよう、映画はそれとは別物と考えているのだな)と理解した。実際映画化が決まった時、原作ファンには批判的な声が多かったのだ。
 相手を気遣い、またパンフレットに戻り、個々のキャラクターの話しを始めた。すると先方はまたノッテきて、「やっぱり山田孝之はいいですね!」と言うのである。山田孝之は今回、主人公と同じ学校のライバルを演じている。 私も見所のある俳優と思っていたので賛同すると、その男は山田孝之について熱く語り始めた。そのうち調子づいて、山田孝之は「手紙」ではどうだった、「電車男」ではどうだったなどと、「クローズ」に関係のない俳優山田孝之論をぶち始めた。さらにはバラエティ番組での、誰もいじれない山田の存在感といった話しまで始めるので、今度は私があきらかに不機嫌になった。それを感じた奴は慌てて話しを「クローズ」に戻したのだが、その時点でもう映画を見終わってから20分は経っている。
 その後のやりとりで以下のことがわかった。その輩は「クローズ」の原作などいっさい読んでいないこと、しかも数日前、たまたまテレビをつけたら大好きな山田孝之が出ていたので、つい「クローズゼロ」を終わりまで見てしまった、という程度のろくでなしだったのだ。その物体は「僕はそろそろ」と行って、終着駅の2つ前で降りていった。もうゆっくりパンフレットを見ている時間もない。

 俺様のエクセレントタイムを、いったいどうしてくれるんだ!
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編集者にとって必要な能力

 古い雑誌や本を見ると、時に線が曲がっていたり汚かったりするものを見かけるはずだ。なぜなら、それらは編集者が実際にペンを使って書いていたものだからだ。
 線を書く時にはロットリングという精密なペンが用いられる。当時の編集者は0.1、0.2、0.5ミリといったペン先を常に携帯し、いつでも的確な太さを選んでラインを引くことができた。それがそのまま印刷されてしまうのだから、細心の注意が必要だ。だから、線を引くときは専用の定規を用い、熱で膨張し歪んだりメモリがずれないように、常に20度以下で湿度の低い場所に保管していた。ロットリングも使う前にはインクが均等に出るようになるまで5分ほど慣らし、使い終わった後は分解してインクが目詰まりをおこさないように清掃してから収める。
 以前在籍したゴルフ誌でのこと。女性編集長が、私が線を引いているところを覗き込んで「君は1ミリ幅の中に0.1ミリケイ(線のことをケイと呼ぶ)を何本ひける?」などと禅問答のようなことを訊いてきた。そんな事は試したことがなく、1ミリ幅にまっすぐひけるのはせいぜい1本だろうと思ったが、ちょっと見栄を張って「2本です」と答えたところ「私は5本引けるわよ」と勝ち誇って去っていった。(編集長になる人は違うなぁ)と思ったものである。

 勤め始めた頃、編集者三種の神器と言えば、「級数早見シート」「写植見本帳」「色見本帳」であった。
 級数というのは文字の大きさで1級が0.25ミリを示す。たとえば12級といえば、0.25×12=3で、3ミリ平方の文字ということになる。「級数早見シート」は文字の大きさを決めたり、スペースの中にその大きさの文字が何文字入るかを調べる時に使う。また行と行をどれくらい空けるかを行送り、文字と文字の間を字送りと言い、これも級数で指定する。
「写植見本帳」というのは印刷に使えるすべての書体が記されたものである。良く用いられる明朝体にも数種類あり、またそれぞれに5段階くらいの太さがある。それは「MM-OKL」(中明朝体)といったように記号で示される。また限られたスペースの中に文字をいれなければならず、文字を小さくすると読みにくい場合は平体といって、文字の縦を縮めるといった技もある。平体1なら90%、平体2なら80%といった具合だ。横を縮める場合は長体と言う。印刷所に原稿の印刷を頼む時には原稿の横に「13級 MM-OKL 字送り13H(級と同じ意味)、行送り20H、平体1 1L30W×16L」という呪文のような言葉を書き込まねばならない。
 新人の頃は「級数早見シート」で文字の大きさを決め「写植見本帳」で書体を決めるなどと悠長なことが許されたが、ある程度ベテランになってくると時間にも追われてくるので、例えば縦4センチ、横7センチのスペースに300字の原稿を入れるには文字の大きさと行間を何級にして、数百はある書体のどれを使うか、これを瞬時に判断出来なくてはならない。当然写植の記号は完璧に暗記しておく必要がある。
 私がゴルフ雑誌の後に仕えた上司は独特の嗜好があり11.5級とか、12.5級とかいった中途半端な文字をよく使う人だった。0.5級なんてそんな微妙な大きさに意味があるのかと思っていた私はその上司から、12.5級で印刷するように言われていた原稿を、どうせ解らないだろうと13級で指定してしまった。印刷所から届けられた校正紙を見るなり、上司は電話口で印刷所に怒鳴り込んだ。結局その上司はその後、編集本部長になった。
「色見本帳」とはあるスペースに色をひくときや、文字の色を指定する時に用いる。色はC(青)M(赤)Y(黄)の色の三原色にK(黒)を加えた記号で表記する。例えば緑ならC100%×Y100%。これもデザイナーとの打合せ時など、「色見本帳」をいちいち出して確認していたら呆れられるので、「C50×M30×Y20の部分、他と同系色にしたいんでCを20に落としてMを50に上げましょう」と言えるために、「色見本帳」をいつも持ち歩いて、日々色の組み合わせを覚えたものだ。

 さて、なぜこういったことが出来なくてはならなかったかというと、実際に印刷所から校正紙がでてくるまでどのような仕上がりになるか目に出来なかったためだ。思っていた仕上がりと違うからと変更を加えれば、また校正紙の出し直しになり、時間はかかるし、ミスの危険は増えるし、追加料金もとられる。だから、真っ新な誌面がどのようなデザインに出来上がるか、頭の中でしっかりイメージできなければならなかった。そのために上記の能力が必要だったのだ。
 今ではこれらの事はすべてパソコンの画面上で簡単に作業ができて、いくらでも変更できる。そしてすぐにプリントして確認することができる。
 文字の統一というものも編集者の大事な仕事だった。「行う」なのか「行なう」なのか、「歳」なのか「才」なのかといった事が1冊の本や雑誌の中で統一されていないと非常にみっともない。一般の読者はあまり意識していないかもしれないが、文字を扱う仕事のプロとして非常に大切な業務だった。しかしこれも今はパソコン上で一括で変換できる。

 その他、写真やイラストの扱い、印刷された文字をレイアウト用紙に貼ったりなど、編集者のやるべき手作業はとても多かった。こういったことを、それなりのレベルにまで習得するのに数年はかかる。昔はこれができればいっぱしの編集者と思っていた。実際、当時の編集者向けの実用書にはこういったことが全編に記されていたし、編集者を養成する専門学校ではメインのカリキュラムになっていたはずだ。
 ところがである、今やこれらのことは何一つ全く役に立たない。一切、意味がないのだ。

 貴重な若き日の数年間。いったいどうしてくれるんだ!
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2009年04月21日

ネット依存の悲劇

 レイアウトや原稿の直し等の編集作業、企画書などの書類作りや経理などの事務作業、さらに打合せ、調べ物などなど、今やほとんどすべての仕事がパソコンの画面上でできてしまう。で合間の息抜きはネット。もうパソコンそしてネットがあれば何もいならい、そんな感じ。さらに今では外出時も携帯でネットをチェックするのが日常になってしまった。
 とくにmixiは気が付くと開いてしまっている。マイミクの数は少ないが皆とても興味深いブログを書いてくれるのだ。中でも数人は日に何度も速射砲のようにアップしてくる。そして私はそれを全て迎撃するが如くチェックしまくる。電車の中で、ちょっとした待ち時間の間、しまいには食事しながら、人と飲んでいる時も気になってトイレに行く振りをしてネットを覗いてしまう。このままのペースでいったら、自分は全生涯のうち何年分をネットに費やすことになってしまうのだろう。

 さて、先日海外旅行にいった際、せっかく歴史的建造物や素晴らしい景観が目の前に広がっているというのに、やっぱり携帯でネットを開き、食いしん坊のマイミクがどんなお昼を食べたのか、を確認したりしてしまった。しかし、これが拙かった。インターネットは国境を超えたと言われるが、国と国との物理的な距離というものを甘く見ていた。
 日本に帰ってから、携帯代の請求額を見て卒倒した。そこには79000円という数字が。「ななまんきゅうせんえん!?」。これは今回の1週間の旅行代金とほぼ同じ額だった。
 その請求額を知ったのも結局ネットの画面。

 皆さんも気を付けてください。
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お帰り、ヒーロー

 数年前のこと、ふとテレビを観ていたら見覚えのある名前が画面に映った。その後、その人物が薬事法違反で検挙される映像が流された。それは、私が良く知る人だった。

 卒業を控え結局私は、子供の頃からの漠然とした夢だった本作りの世界に飛び込むことにした。ちょうどゴルフ雑誌の創刊で人を集めている出版社に運よく採用された。
 これまでのオジサン向けのゴルフ誌でなく、若者や女性に向けたオシャレな雑誌というコンセプト。そこで集められたメンバーは誰一人としてゴルフ誌の経験がなかった。ただし、皆一癖ある人ばかりが集っていた。
 その中でも特別に興味深い人がいた。歳は40くらいで身のこなしが柔らかく、語り口はソフトだがどこか視点が鋭い。普段はくだらないバカ話をしているのが仕事になるとスイッチが切り替わり、自身の人脈を巧みに使いながら鮮やかにこなしていく。本当にカッコイイ人だった。
 なぜか私はその人に可愛がられ、忙しい合間を縫って良く飲みに誘ってもらった。彼の硬軟とりまぜた話しは社会に出たばかりの自分にとって、とても刺激的なものだった。いつか私は彼を勝手に師と仰ぐようになった。

 その雑誌のある号で私は特集を担当することになり、気合いを入れて何日も徹夜して記事を書いた。出来上がった原稿は自分でも手応えがあり、他の編集部の先輩達にも初めて褒めてもらえた。その時、師匠は一言だけ「良かったよ。とくにキャプションがイカしてた」と言ってくれた。キャプションとは写真の下に添える文章のことなのだが、実は自分でも相当に錬った部分だったので、そんな所まで見てもらえていることが嬉しかった。
 次の号、いつもより多くページを与えられ、今回もなかなか上手く書けたなと自己満足にひたっていたところ、師匠に「今回のはあまり良くないね」と言われた。どこが、とは具体的には言わなかった。気になった私は何度も読み返してみて気が付いた。その文章には核がないのだ。小手先の語句ばかりで取り繕って、訴える部分が何もなかったのだ。そんな感じで、師匠からいろんな事を学んだ。

 しばらくして師匠は雑誌を去ることになった。彼は根無し草のように色々な出版社を渡り歩いて来た人で、一つ所に落ち着くという性分ではなかったのだ。送別の飲み会で、彼は私の目を覗き込むようにしながらこう言った。「君はきっといい編集者になるよ」。凄く嬉しかったが、私が彼と接した時間はごく僅かなのだ。だから思わず「なぜですか?」と尋ねてしまった。すると彼は「僕にはわかるんだよ」と少し微笑みながら答えた。

 その後、いろいろな出版関係者と知り合うようになってから、師匠の業界での名声を知ることになる。そんな人に認めてもらえた、それは大きな自信になった。うまくいかないことが続いたり、孤立したり、そんな時、「君はきっといい編集者になるよ」という言葉にすがった。自分には今の仕事が向いてないのでは、と考えたことも多々あるが、その言葉のおかげで仕事が嫌になることはけっしてなかった。
 
 その後、師匠は自分で会社を興したり、他の出版社に引き抜かれたりといったことを繰り返していた。忙しい人なので、頻繁には会えなかったが、重要な岐路ではいつも相談にのってもらっていた。最後に会った時、師匠は、健康本関係の出版社を手伝っていると話してくれた。
 
 師匠が逮捕されたのは、ある健康食品をガンの特効薬と偽って本で宣伝した事による罪だった。逮捕時の彼の肩書きは出版社とは関係のない、健康食品会社の社長となっていた。いったい何が起こったのか、慌ててネットで調べてみると、師匠の過去のインタビューが目にとまった。なぜ健康食品の会社を始めたのかというインタビューに対し「健康食品のタイアップ出版を手掛けているうち、そのあまりの利益に他人に儲けさせているのがアホらしくなった」と彼は答えていた。
 私はたいして必要もないモノを、いかに大切そうに見せるかというのがビジネスの本質と思っているので、師匠の行為の是非を言うつもりはない。ただ納得がいかないのが、あれだけ目端が利いて感性の鋭い人が、どのラインまでなら世間で受け入れられるのか、それが読めなかった点だ。私の心のない文章にダメを出した師匠のそのインタビューには、訴えるものがなかった。
 でも逮捕された時の映像の中の師匠は、相変わらずカッコよかった。

 結局その事件で、師匠は検察から2年6カ月の求刑を受けた。
 私は彼の奥さん宛に一度手紙を出したきり、その後、一切何もしなかった。何か支援を申し出ることも、留置場に会いに行くこともなかった。これだけ恩のある人に対して、私は何もしなかった。
 でも、私が彼にしてあげられること、そんなことは何一つ、全くないのだ。
 なぜなら、彼はヒーローなのだから。

 事件から3年が経ち、もう刑期は終えている頃だ。
 きっと彼は早々に動き始めているはずだ。そしていつか必ず、このブログを目に止めてくれて、颯爽と私の前に現れるのだ。
 その時、私は心の中でそっとつぶやく。「お帰り」と。
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