2009年06月05日

売れない本を作る罪

 村上春樹の新刊がとてつもない勢いで売れているという。出版界にとって数少ない喜ばしいニュースで、また売れているのが彼の本であることで大方の業界関係者は納得なのではないか

 一昔前に『誰が本を殺すのか』という本が話題になった。とても参考になる本だったが、どうしても著者に賛同できない箇所があった。それは本に貴賤があるかのように、くだらない本がベストセラーになってしまう現状を嘆く部分である。しかし本は文化的で特別な媒体で、売れることが全てではない、こういう考えが出版界の根底にあって、私自身も毒されていると思う。それが現在の出版業界低迷の元凶なのではないだろうか。
 子供や若者が本を読まなくなったという報道がよくなされるが、そこには「本は読まなければならないもの」という考えがみてとれる。強制されることでますます読者は離れていく。だいたい本なんて読まなくてもまったく困りはしないのだ。例えば私の弟は、学校の読書感想文で2冊、趣味のバイクの本を1冊と生涯でたった3冊しか本を読んでいない。それでも大学に入れて、私などよりよっぽど良い会社に就職している。
 もっと買っていただくという姿勢が必要なはずだ。では売れれば何でもいいのか。私はなんでもいいと思う。少なくとも売れている本を否定しようという気持ちにはなれない。
 出版なんてほんとに狭いマニアックな人々を相手にした商売なのだ。10万部売れればまごうことなきベストセラーである。しかし単純計算でいけば日本人の千人に一人にしか読まれていないわけだ。出版業界で「よしもとばなな」と言えば次の5千円札になる人、くらいに思われているだろう。しかし先日見た著名人の認知度を100人に聞くというTV番組で「よしもとばなな」を知っていたのはたった30人程で、その数は「猫ひろし」の半分にも満たなかった。つまりはそんな程度の世界なのだ。

 数年前の事、会社を辞めてフリーになり初めての仕事として、ある大型企画を出版社に持ちこんだ。実績もあった企画だったので、無事その出版社で進められることになった。その企画はシリーズ化が期待できたので、今後の自分の将来をも決める仕事と意気込んでいた。 
 その出版社の担当編集者と打合せしていると、先方からもいろいろなアイデアがだされた。その中で、付録を付けてはどうか、という提案があった。確かに面白いアイデアだったが、それでは原価があがってしまうので無理ではないか、と尋ねたところ、「定価をあげればいいんですよ」とあっさり言われ、当初考えていた倍の定価で売り出すことになった。私は定価が高くなることで読者が離れる危惧も抱いたが、その付録がつく魅力も捨てがたかった。それよりも、印税契約だったので定価が高い本が売れればより儲けが出るな、という妄想の方が膨らんできてしまった。だから、「もう一度、検討した方がいいのでは」という程度の意見に留め、あまり反対はしなかった。
 結局その本の売れ行きは惨憺たるありさまだった。その本を出してくれた出版社は相当な損失を被ったようだった。しばらくして担当だった編集者が、会社を辞めるという事を知った。このタイミングで辞めるということは、どう考えてもその企画の責任を負わされたとしか思えない。一方、私の所には結果にかかわらず予定通りの編集費が振り込まれた。これは当然の権利だし、当初の企画内容とだいぶ様変わりし、しかも売れ行きに大きく影響する定価を変更したのは先方だった。私の方だって、シリーズ化を当てにしていたので、大きな痛手だったのだ。しかし、このような話しを聞くとなんだかプレッシャーを感じてしまった。
 その編集者は幸いにもすぐに次の会社が決まり勤め始めた。その近況報告も兼ねて二人で飲むことになった。だが、彼の様子は冴えず、話しぶりから相当にキツイ職場のようだった。そしてその転職が、彼の家庭内にも影響を及ぼしているような感じだった。
 それからしばらくして、その人から私の携帯に電話が入った。私はなんとなく出る気がしなくて、放っておいた。そして、それ以降、、、いっさい連絡が来ることはなかった。

 だから、やっぱり、売れない本を作ってはいけないのだ。
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失恋の被害者

 切通理作の『失恋論』を読んだ。妻帯者の著者がかなり年下の仕事相手に恋し、敗れる様を描いた実話だが、失恋ごときでいい年の男がこうもみっとなくなってしまうものかと、そしてその醜態をあえて公にさらす姿勢に感動さえ覚えた。しかし同時に、著者が一連の事実を奥さんに告白する部分には罪深さを感じた。
 たかが失恋、でも今の平和な日本で、多くの人にとってこれが最もつらい体験なのではないだろうか。情けなくも、 私もそうだった。

 最もきつかったのは、初めての失恋の時。彼女と出会ったのは高校の学園祭だった。男子校生にとって彼女を作る最大のチャンスは学園祭。友達と2人で遊びに来ていた彼女は、まさに自分の思い描いていた理想の女子だった。必死に声をかけ、後夜祭に誘い、その後もアタックして、なんとか付き合えることになった。自分に起こった幸運が信じられないくらいだった。
 私は高1で彼女は一つ下の中3。付き合うといっても学校も家も離れているし、お互いに部活もあったので、平日に会うことはなく、月に何度か週末に会うといった程度の交際だった。当時は電話は各家庭1台、しかも固定の黒電話。私の家も彼女の家もそれがリビングにあったので、電話で長話をするような環境ではなかった。
 だから一番のコミュニケーション手段は手紙だった。手紙を送る、2〜3日で戻ってくる。それを読んで、また2〜3日で返事を書く。今の携帯、メールの時代からは考えられないことだろう。それでも充分に楽しかった。
 そんな付き合いが1年くらい続き、そして、その日がやってきた。週末のデートの約束をキャンセルされた後に届いた手紙。私はそのことを詫びる手紙なのだろうと思っていた。しかし書かれていたのは……もう会うのはやめにしましょう、という内容のものだった。その訳については触れられていなかった。呆然とした。何が起こったのかわからない。思い当たることもない。じっとしていられず、彼女の自宅の電話番号を回した。幸いにも受話器の向こうから聞こえたのは彼女自身の声だった。私は手紙を読んだことを告げた。しかし彼女は、「手紙に書いた通りだから、だから、、、もう会わない方がいいと思う」と言うだけで、理由を語ることはなかった。
 もう、2度と会うことができない、そう考えると本当にどうしていいかわからなくなって、何もする気力もない、眠れないし、食事もできない。でも人に覚られるのは嫌だったので、なんとか表面的には平静を保っていた。それが余計に辛い。結局そんなどうしようもない状態が数カ月続いた。完全に頭から離れるのにはさらに半年くらいかかった。
 しかし、まあ今となってみれば、それも懐かしい昔の想い出、そう思っていた。

 先日、実家に帰って昔の年賀状を整理をしていると、一通の封筒が見つかった。差し出し人の名前に記憶がない。開いて読んでみると、その手紙は私が高校時代に付き合っていた彼女の友達からのものだった。学園祭で私は彼女とその友達と3人で過ごしたのだった。手紙にはこんなことが書いてあった。
「この前は学園祭でありがとう。とても楽しかったです。わたし、ひとつ謝らなければいけないことがあるんです。帰り道、わたしたちに電話番号を聞いてきたよね。あの時Mさんに、『わたし、困るよ……どうしよう』って言われたから、『Mさんは彼氏がいるんで、電話はだめなんです』って言ったんです。でも、その時、すっごくがっかりした顔してたよね。それで、あなたはMさんのことが好きなんだなって分かりました。本当のことを言うと、Mさんに彼氏はいないんです。そのことを謝りたくて手紙を書きました。でも、それだけじゃないんです。あの日、いろいろと話をして、なんだか、あなたのことが気になるようになってしまって。だから、もしMさんのこと、わたしの勘違いだったらいいなと思っています。もしよかったら今度、会ってもらえませんか。うちは親が厳しいんで電話になかなか出られないんだけど、今週の土曜日は両親がでかけるんで、夕方の4時に電話待ってます……」そして電話番号が添えられていた。
 当時の記憶が鮮明に蘇ってきた。そうだった。3人で近くの駅まで帰る道すがら、私はなんとかして連絡先を聞き出そうとして、結局はお互いの住所の交換だけして帰ってきたのだった。
 そして、この友達からの手紙のおかげで勇気づけられ、彼女にアタックすることができたのだ。
 ただ、はっきり覚えてはいないが、この友達に対して、私は何のフォローもしなかったと思う。電話することもなく、手紙も書かず……。彼女はきっと私からの電話を待っていてくれたのだろう。そして自分の親友が私と付き合うことを知った時、彼女はどんな気持ちだったのか。
 私は自分の高校時代の失恋を、自分だけの最大の不幸と勝手に思って過ごしてきたのだった。

 読み終わった手紙を元通り折り畳んで封筒に戻し、私はもう一度、裏面に記された名前を目で追った。でも、結局、送り主の顔を思い出すことは出来なかった。
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