2009年07月13日

S女史とのマージャン

 人生何をしている時が一番楽しいか? 美味しいものを食べている時、付き合い始めのデート、リゾートでのバカンス、けれどそういった事より、何よりもあっという間に時間が過ぎ夢中になれるのがマージャン、それが私の学生時代の友人の共通認識だった。学生時代は週3回、さすがに社会人になってから回数は減ったが、やはりマージャンと決まっている前の日はワクワクしたものだ。しかしある出来事をきっかきに、それほどまでに好きだったマージャンにのめりこめないようになってしまった。

 ある日、ライターのGさんとの打ち合わせ中、「今度、雑誌社の主催でSを囲んでのマージャン大会があるんだけど、良かったら来ませんか?」との誘いを受けた。漫画家のS女史とはGさんを通して何度か面識があった。彼女のファンを招待して全部で60人も集う大きなイベントで、S女史の招待枠で5人ほど入れるという。S女史はマージャン好きの人間なら一度は卓を囲みたいと願う存在。実際には身内枠は彼女と対戦はないようだったが、なんとも魅力的なイベントである。私は「必ず行くんで絶対他の人には声をかけないで下さい!」と即答した。

 大会は夜に始まって、朝方に終了という進行だった。会社での仕事を終えて、会場であるホテルの控え室に着くと、S女史を含めた招待枠の5名がすでに揃っていた。私はS女史を見つけて招待のお礼を言うと、彼女は前置きもなしに、いきなりこんなことを聞いてきた。
「ねえ、今日いくらもってきた?」
 私はギャンブルの場なら賭け事も当然ありえると思って、多少の現金は用意しておいたのでそう告げると、
「じゃあ、今日はみんなで馬身をやるから。1馬身は5千円ね」
 馬身というものを知らなかった私がそのルールを尋ねると、順位差に応じて上位のものが下位のものから賞金を得ることができるというギャンブルだと言う。例えば6人の中でトップになれば2位とは1馬身差なので5千円、3位は2馬身で1万円、6位なら5馬身で2万5千円をそれぞれから得ることができる。私はマージャンにはちょっと自信があったので、望むところだった。

 開始時間になり会場に入ると、S女史には女性ファンが非常に多いので通常のマージャン場と異なり、そこは華やかで楽しげな雰囲気になっていた。その様子を見て私はあまり真剣に打つのも大人げないと、まあ適当にその場を乱さないくらいの感じで心地よく牌を握った。成績は半荘6回戦のトータルで決まる。
 残り2回戦となった段階で小休止となった。成績の方はトータルではややマイナスといった感じだった。別の広間の方に軽食や飲み物が用意され、その間に中間報告の集計がされていた。私は軽くサンドイッチをつまんでから、途中経過が記された会場の方に戻ると、自分の現在の順位は40位くらいであることを知った。S女史の関係組は皆調子が良いようで10位前後くらいに固まっていた。
 関係者が集まっているあたりに行ってみると、S女史が、
「Oさん、けっこうキツいことになってんねー」と嬉しそうに話しかけてきた。それほどのことかな?と怪訝に思っていると、その隣にいたS女史の旦那のKさんが「ざっと計算したら、だいたい80万くらいはいってんなぁ」と言う。その時に自分の大きな勘違いに気づいた。馬身はこの6人の順位で決めるものではなく、参加者全員の中での順位を元にしたものであったのだ。考えてみれば60人なんて大げさな大会は滅多にあるものではないのに、わざわざ仲間内6人だけの順位として考える方が間違っていたのだ。そして根っからのギャンブラーであるS女史が勝っても負けても数万程度なんて、そんなユルい勝負をするわけがなかったのだ。40位─10位は30馬身なので15万、これを5人に支払うとなると、、、私が呆然としているところにS女史は、
「ところで、これだけの負け、本当に今日払えるの?」と追い打ちをかける。私が、
「い、いや、こんなにいくとは思ってなかったんで、、、」と青くなっていると、彼女は、
「いいよ、別に。銀行が開く時間まで待っててあげるから」と言って、側にいたファンと談笑を始めた。私の憔悴した様子を見て直接の招待者であるGさんが、
「あんなこと言ってるけど、冗談だから気にすることないっすよ。まあ俺がなんとかしますから」
 と声をかけててくれた。しかし、S女史の様子から絶対に冗談なんかですまされるはずはない、とわかっていた。だいたい彼女だってこれまでに家1軒分くらいの負けを経験しているのだ。そんな彼女がギャンブルの精算を曖昧になどするはずがない。
 もしさらに順位が下がってしまったら、ゆうに100万は越してしまう。定期預金や積み立てている保険などを解約すれば100万くらいなんとかなるだろうが、銀行ですぐに下ろせる口座に100万なんて金が入っているわけがない。銀行では足りないと分かれば次はきっとサラ金に連れていかれるに決まっている。その金利がどんどん膨らんで、、、と頭の中には転落へのシナリオが広がっていく。

 休憩時間が終わり、それぞれの卓についた。カーテン越しにうっすらと空の色が変わり始めるのがわかる。会場に集っているファンたちは、一流ホテルの広間で、有名な出版社が開催するS女史とのマージャン大会を心から堪能しているようだった。そんな中でただ一人、私だけがドヨーンとした重苦しい空気を漂わせていた。残りは後2回、ここでなんとかしなければ、、、そう考えれば考えるほど息苦しくなり思考が定まらなくなってくる。これまであんなに早く過ぎていったマージャンタイムが、その時は永遠のように長く思えた。高層ビルにわたされた10センチの幅の板を渡る「カイジ」ような気分だった。
 結局、残りの2回は4人の卓で両方とも2着に終わった。後は皆の結果待ち。幸いなことに皆順位をおとし、私より下位になってしまった人もいた。その日の負けはなんとか持ち金で足りる範囲で収まった。しかしその時の恐怖はしばらく忘れることができなかった。マージャンといえどもギャンブルなのということを思い知らされた。そしてギャンブルというものには想像を超えた破滅が待っている可能性があるのだ。
「ギャンブルは、人生は、そんなヌルいもんじゃないわよ」S女史にそう諭された気分だった。
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フェデラーの夏

 20世紀に生まれて、本当に幸せだなと思えるのは、もう二度と現れることがないだろう素晴らしい3人のアスリートのプレーを見ることができたことだ。
 バスケットのマイケル・ジョーダン、ゴルフのタイガー・ウッズ、そしてもう一人がテニスのピート・サンプラスである。
 テニスはエースよりもミスによるポイントの方が多いスポーツなので、どうしても守備に優れた選手の方が勝率が高くなる。しかしそんな中に圧倒的な攻撃力を持った選手が現れ、王者として君臨する。テニス界ではそういった歴史が繰り返されている。その中にあって、サーブ、ストローク、ボレーと、ほとんどすべてのショットでエースを取ることができたピート・サンプラスは突出した存在だった。それを支えているのは類い希な身体能力で、鋼のように強靱で、しかもしなやかさを備えていた。そんな彼のプレーに私は夢中になった。
 彼は強すぎるゆえ、そしてコート内外であまりに真面目すぎたため、退屈な王者と言われていた。テニス界の中でもボルグやマッケンロー、そして同世代のアガシほどに彼の名が一般には知られていないのはとても残念なことである。
「つまらない」と表された彼に転機が訪れたのが、1995年の全豪オープン。この大会の直前、サンプラスの側にいつもあったコーチのティム・ガリクソンが病に倒れた。そして大会中にガリクソンの病気は脳腫瘍であることが判明した。その報道がなされた翌日の準々決勝、サンプラスのサービスゲーム中に観客から「コーチのために頑張れ!」という声援がとんだ。サンプラスはサービスの動作を止め、しばらく動かなくなってしまった。その目からは涙が溢れ始めた。ガリクソンは彼にとってたんなるコーチではなく公私ともに最も信頼を寄せる友人でもあったのだ。サンプラスは涙を袖で拭いながらもサービスを続け、泣きながらエースを連発し、試合を制した。初めて感情を露わにする彼の姿をみたテニスファンは、それ以来徐々にサンプラスを王者として尊敬するようになってきた。
 サンプラスは特にウインブルドンに強く、ビヨン・ボルグの持つウインブルドン5連覇を越えるのは時間の問題と思われていた。だが、その半ば2001年のウインブルドンで、サンプラスに憧れそのプレーを理想とするロジャー・フェデラーという若者に敗れた。しかし、その後も年に4回あるグランドスラム大会での勝利を重ね、記録を更新する14回の優勝を成し遂げ、史上最強のテニスプレーヤーの称号を得ることになる。
 最後の14回目の勝利は彼の地元アメリカで開催された全米オープン。そこで優勝した彼はその後の試合には一切出場せずに、そのまま引退を表明した。こんなに見事に引き際を決めたプロスポーツ選手が他にいるだろうか? そのあまりのカッコよさに敬意を表し、私も同時にテニス観戦からの引退を決意した。
 そうはいいながらも気にはなっていて、結果をネットで見たり、ダイジェストを見たり、試合の一部を見てしまうことはあった。サンプラス引退後に台頭してきたのは、ウインブルドンで彼に土をつけたロジャー・フェデラー。彼もすべてのショットに優れた非常にバランスのいいオールラウンダーで、とても動きの美しい選手だ。次の王者として君臨した彼は、グランドスラムでの勝利を重ね始めた。そしていつしかサンプラスとフェデラーはどちらが偉大なテニスプレーヤーかといった論議がなされるようになってきた。
 たしかにフェデラーは素晴らしい選手だ。しかし私がずっと見てきたサンプラスの躍動感溢れるプレーは、フェデラーを遙かに上回っているように感じた。これは過去を美化してしまうノスタルジーに過ぎないのだろうか。私にとってのより所はサンプラスのグランドスラム14勝という数字であった。
 しかしフェデラーの勢いは止まず、次々に勝利を積み重ね、ついに今年の全仏オープンでサンプラスの持つグランドスラムの記録に並んだ。そして次のウインブルドンに記録の更新がかかった。
 フェデラーは順調に勝ちあがり、決勝に進んだ。その歴史的な日、私はどうしても見届けずにはいられず、禁を破って試合当初からテレビの前で観戦した。会場にはボルグ、マッケンロー等、ウインブルドンの英雄たちが顔を揃えていた。もちろんサンプラスの姿もそこにあった。サンプラスはフェデラーになら自分の記録を破られることを納得しているようで、とてもリラックスした表情をしていた。
 決勝の相手は時期王者と目されながら低迷を続けていたアンディ・ロディック。このウインブルドンに向けて復活を期していた彼は絶好調だった。決勝は両者ともに持ち味を発揮した素晴らしい試合となった。それでも私はどうしてもロディックの方に肩入れをしてしまっていた。一進一退の攻防のすえ2セットずつを取り合い、最終セットに入った。互いにサービスゲームをキープしていくために試合は通常の6ゲームでは終わらず、長い長い延長戦に入った。
 この試合の中で何度か、フェデラーの方に絶体絶命のピンチがあった。しかしそのポイントを彼は強靱な精神力と、神業のようなプレーでしのいでいった。
 夏のウインブルドン、このテニスの聖地で、フェデラーの偉業が成し遂げられるのは必然のようだった。
 最終セットのなんと30ゲーム目、15ー14のリードで迎えた最後のポイント、フェデラーのボールに押されてフレームにあたったロディックのショットは空に高々と舞い上がった。
 この後に沸き起こるであろう歓喜、嵐のような祝福、そして荘厳なセレモニー、私はどうしてもそれを見ることができなかった。ロディックの打ったボールが観客席に落ちたのを確認すると、私はテレビのスイッチを切ってしまった。
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