2009年07月13日

フェデラーの夏

 20世紀に生まれて、本当に幸せだなと思えるのは、もう二度と現れることがないだろう素晴らしい3人のアスリートのプレーを見ることができたことだ。
 バスケットのマイケル・ジョーダン、ゴルフのタイガー・ウッズ、そしてもう一人がテニスのピート・サンプラスである。
 テニスはエースよりもミスによるポイントの方が多いスポーツなので、どうしても守備に優れた選手の方が勝率が高くなる。しかしそんな中に圧倒的な攻撃力を持った選手が現れ、王者として君臨する。テニス界ではそういった歴史が繰り返されている。その中にあって、サーブ、ストローク、ボレーと、ほとんどすべてのショットでエースを取ることができたピート・サンプラスは突出した存在だった。それを支えているのは類い希な身体能力で、鋼のように強靱で、しかもしなやかさを備えていた。そんな彼のプレーに私は夢中になった。
 彼は強すぎるゆえ、そしてコート内外であまりに真面目すぎたため、退屈な王者と言われていた。テニス界の中でもボルグやマッケンロー、そして同世代のアガシほどに彼の名が一般には知られていないのはとても残念なことである。
「つまらない」と表された彼に転機が訪れたのが、1995年の全豪オープン。この大会の直前、サンプラスの側にいつもあったコーチのティム・ガリクソンが病に倒れた。そして大会中にガリクソンの病気は脳腫瘍であることが判明した。その報道がなされた翌日の準々決勝、サンプラスのサービスゲーム中に観客から「コーチのために頑張れ!」という声援がとんだ。サンプラスはサービスの動作を止め、しばらく動かなくなってしまった。その目からは涙が溢れ始めた。ガリクソンは彼にとってたんなるコーチではなく公私ともに最も信頼を寄せる友人でもあったのだ。サンプラスは涙を袖で拭いながらもサービスを続け、泣きながらエースを連発し、試合を制した。初めて感情を露わにする彼の姿をみたテニスファンは、それ以来徐々にサンプラスを王者として尊敬するようになってきた。
 サンプラスは特にウインブルドンに強く、ビヨン・ボルグの持つウインブルドン5連覇を越えるのは時間の問題と思われていた。だが、その半ば2001年のウインブルドンで、サンプラスに憧れそのプレーを理想とするロジャー・フェデラーという若者に敗れた。しかし、その後も年に4回あるグランドスラム大会での勝利を重ね、記録を更新する14回の優勝を成し遂げ、史上最強のテニスプレーヤーの称号を得ることになる。
 最後の14回目の勝利は彼の地元アメリカで開催された全米オープン。そこで優勝した彼はその後の試合には一切出場せずに、そのまま引退を表明した。こんなに見事に引き際を決めたプロスポーツ選手が他にいるだろうか? そのあまりのカッコよさに敬意を表し、私も同時にテニス観戦からの引退を決意した。
 そうはいいながらも気にはなっていて、結果をネットで見たり、ダイジェストを見たり、試合の一部を見てしまうことはあった。サンプラス引退後に台頭してきたのは、ウインブルドンで彼に土をつけたロジャー・フェデラー。彼もすべてのショットに優れた非常にバランスのいいオールラウンダーで、とても動きの美しい選手だ。次の王者として君臨した彼は、グランドスラムでの勝利を重ね始めた。そしていつしかサンプラスとフェデラーはどちらが偉大なテニスプレーヤーかといった論議がなされるようになってきた。
 たしかにフェデラーは素晴らしい選手だ。しかし私がずっと見てきたサンプラスの躍動感溢れるプレーは、フェデラーを遙かに上回っているように感じた。これは過去を美化してしまうノスタルジーに過ぎないのだろうか。私にとってのより所はサンプラスのグランドスラム14勝という数字であった。
 しかしフェデラーの勢いは止まず、次々に勝利を積み重ね、ついに今年の全仏オープンでサンプラスの持つグランドスラムの記録に並んだ。そして次のウインブルドンに記録の更新がかかった。
 フェデラーは順調に勝ちあがり、決勝に進んだ。その歴史的な日、私はどうしても見届けずにはいられず、禁を破って試合当初からテレビの前で観戦した。会場にはボルグ、マッケンロー等、ウインブルドンの英雄たちが顔を揃えていた。もちろんサンプラスの姿もそこにあった。サンプラスはフェデラーになら自分の記録を破られることを納得しているようで、とてもリラックスした表情をしていた。
 決勝の相手は時期王者と目されながら低迷を続けていたアンディ・ロディック。このウインブルドンに向けて復活を期していた彼は絶好調だった。決勝は両者ともに持ち味を発揮した素晴らしい試合となった。それでも私はどうしてもロディックの方に肩入れをしてしまっていた。一進一退の攻防のすえ2セットずつを取り合い、最終セットに入った。互いにサービスゲームをキープしていくために試合は通常の6ゲームでは終わらず、長い長い延長戦に入った。
 この試合の中で何度か、フェデラーの方に絶体絶命のピンチがあった。しかしそのポイントを彼は強靱な精神力と、神業のようなプレーでしのいでいった。
 夏のウインブルドン、このテニスの聖地で、フェデラーの偉業が成し遂げられるのは必然のようだった。
 最終セットのなんと30ゲーム目、15ー14のリードで迎えた最後のポイント、フェデラーのボールに押されてフレームにあたったロディックのショットは空に高々と舞い上がった。
 この後に沸き起こるであろう歓喜、嵐のような祝福、そして荘厳なセレモニー、私はどうしてもそれを見ることができなかった。ロディックの打ったボールが観客席に落ちたのを確認すると、私はテレビのスイッチを切ってしまった。
posted by at 20:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
私もあの試合は出張先の韓国で見ました。
熱い試合でしたね。
いつまでも記憶に残りそうです。

で、記憶に残るといえば僕らの世代はやはりボルグVSマッケンローですよね?
Posted by あきぴ〜 at 2009年07月14日 11:40
あきぴ〜さん
ボルグVSマッケンローの死闘はテニスファンを超えた社会的出来事でしたよね。
この二人はいまだにカッコいいのが嬉しいです。でも今、当時の試合をビデオで見ると、ラケットが全く違うのでまるで別のスポーツみたいですね。ストローカーのイメージが強いボルグがウインブルドンだけはサーブ&ボレーしているのが面白いです。
Posted by okada at 2009年07月14日 12:40
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