2009年04月21日

お帰り、ヒーロー

 数年前のこと、ふとテレビを観ていたら見覚えのある名前が画面に映った。その後、その人物が薬事法違反で検挙される映像が流された。それは、私が良く知る人だった。

 卒業を控え結局私は、子供の頃からの漠然とした夢だった本作りの世界に飛び込むことにした。ちょうどゴルフ雑誌の創刊で人を集めている出版社に運よく採用された。
 これまでのオジサン向けのゴルフ誌でなく、若者や女性に向けたオシャレな雑誌というコンセプト。そこで集められたメンバーは誰一人としてゴルフ誌の経験がなかった。ただし、皆一癖ある人ばかりが集っていた。
 その中でも特別に興味深い人がいた。歳は40くらいで身のこなしが柔らかく、語り口はソフトだがどこか視点が鋭い。普段はくだらないバカ話をしているのが仕事になるとスイッチが切り替わり、自身の人脈を巧みに使いながら鮮やかにこなしていく。本当にカッコイイ人だった。
 なぜか私はその人に可愛がられ、忙しい合間を縫って良く飲みに誘ってもらった。彼の硬軟とりまぜた話しは社会に出たばかりの自分にとって、とても刺激的なものだった。いつか私は彼を勝手に師と仰ぐようになった。

 その雑誌のある号で私は特集を担当することになり、気合いを入れて何日も徹夜して記事を書いた。出来上がった原稿は自分でも手応えがあり、他の編集部の先輩達にも初めて褒めてもらえた。その時、師匠は一言だけ「良かったよ。とくにキャプションがイカしてた」と言ってくれた。キャプションとは写真の下に添える文章のことなのだが、実は自分でも相当に錬った部分だったので、そんな所まで見てもらえていることが嬉しかった。
 次の号、いつもより多くページを与えられ、今回もなかなか上手く書けたなと自己満足にひたっていたところ、師匠に「今回のはあまり良くないね」と言われた。どこが、とは具体的には言わなかった。気になった私は何度も読み返してみて気が付いた。その文章には核がないのだ。小手先の語句ばかりで取り繕って、訴える部分が何もなかったのだ。そんな感じで、師匠からいろんな事を学んだ。

 しばらくして師匠は雑誌を去ることになった。彼は根無し草のように色々な出版社を渡り歩いて来た人で、一つ所に落ち着くという性分ではなかったのだ。送別の飲み会で、彼は私の目を覗き込むようにしながらこう言った。「君はきっといい編集者になるよ」。凄く嬉しかったが、私が彼と接した時間はごく僅かなのだ。だから思わず「なぜですか?」と尋ねてしまった。すると彼は「僕にはわかるんだよ」と少し微笑みながら答えた。

 その後、いろいろな出版関係者と知り合うようになってから、師匠の業界での名声を知ることになる。そんな人に認めてもらえた、それは大きな自信になった。うまくいかないことが続いたり、孤立したり、そんな時、「君はきっといい編集者になるよ」という言葉にすがった。自分には今の仕事が向いてないのでは、と考えたことも多々あるが、その言葉のおかげで仕事が嫌になることはけっしてなかった。
 
 その後、師匠は自分で会社を興したり、他の出版社に引き抜かれたりといったことを繰り返していた。忙しい人なので、頻繁には会えなかったが、重要な岐路ではいつも相談にのってもらっていた。最後に会った時、師匠は、健康本関係の出版社を手伝っていると話してくれた。
 
 師匠が逮捕されたのは、ある健康食品をガンの特効薬と偽って本で宣伝した事による罪だった。逮捕時の彼の肩書きは出版社とは関係のない、健康食品会社の社長となっていた。いったい何が起こったのか、慌ててネットで調べてみると、師匠の過去のインタビューが目にとまった。なぜ健康食品の会社を始めたのかというインタビューに対し「健康食品のタイアップ出版を手掛けているうち、そのあまりの利益に他人に儲けさせているのがアホらしくなった」と彼は答えていた。
 私はたいして必要もないモノを、いかに大切そうに見せるかというのがビジネスの本質と思っているので、師匠の行為の是非を言うつもりはない。ただ納得がいかないのが、あれだけ目端が利いて感性の鋭い人が、どのラインまでなら世間で受け入れられるのか、それが読めなかった点だ。私の心のない文章にダメを出した師匠のそのインタビューには、訴えるものがなかった。
 でも逮捕された時の映像の中の師匠は、相変わらずカッコよかった。

 結局その事件で、師匠は検察から2年6カ月の求刑を受けた。
 私は彼の奥さん宛に一度手紙を出したきり、その後、一切何もしなかった。何か支援を申し出ることも、留置場に会いに行くこともなかった。これだけ恩のある人に対して、私は何もしなかった。
 でも、私が彼にしてあげられること、そんなことは何一つ、全くないのだ。
 なぜなら、彼はヒーローなのだから。

 事件から3年が経ち、もう刑期は終えている頃だ。
 きっと彼は早々に動き始めているはずだ。そしていつか必ず、このブログを目に止めてくれて、颯爽と私の前に現れるのだ。
 その時、私は心の中でそっとつぶやく。「お帰り」と。
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2009年03月12日

あるいは別の人生

 今年卒業する知り合いの大学生が、「就活が去年で本当にラッキーでしたよ」という。一流企業に入るため、せっかく努力して入った有名大学。それがたった1年の差でまったく状況が変わってしまう。でもバブル期の入社組が順調かというと、今や余剰人員としてリストラの対象になったりしている。

 私が就職したのは丁度景気の谷間で、なかなか厳しい時期だった。就活は今より遅く、大学4年になってからぼちぼち始まり、内定が早い人は夏前くらい、大勢が決まるのは秋口になってからだった。それまでの大学3年間何も考えずに遊んでいたところに突然、将来の選択を迫られる。「急にそんなこと言われても、ちょっと考えさせて下さい、、、」という感じだった。自分が何がやりたいのか、真剣に考えてこなかったツケが回ってきてしまった。何をするかといったって、会社に就職するぐらいしか選択肢が思いつかず、かといって特に入りたい会社もない。例えばソニーは有名だし良さそうな会社だな、くらいの感触はあったが、製品開発や工場での製造部門以外にいる大勢の社員がいったい何の仕事をしているのか、さっぱりイメージがわかなかった。
 だが、そんな学生に対して企業側は、この会社でいったい何をしたいのか、を執拗に追求してくる。でもいくら具体的だからといって銀行で「一般市民から低い金利でお金を集め、それを高利で貸し付ける、そんな仕事がしたいです」いうわけにもいかず、「社会のため」とか「自分なりのやりがい」みたいなものを語らなければならない。「幼い頃からぜんそくに悩まされていた弟が御社の薬で救われました。だから御社で働いて日本中の人々の健康の手助けをしたい」みたいな事を言わねばならない。でも実際日本中の人をすべて健康にするなど、製薬会社には絶対許されない行為だ。

 結局私も何がやりたいのかわからないまま就職戦線に突入していったので、なんとなくイメージで会社を選んでみた。当時オシャレというのが若者のキーワードであった。最もオシャレな仕事、そう位置づけられていたのは広告だった。でも電通、博報堂じゃ当たり前すぎるので、よりオシャレ度が高い資生堂やサントリーの宣伝部あたりの、有名で給料が良さそうでキレイな女の子がいそうな会社を目指したが、当然そんな就職活動がうまくいくわけはない。そのうち現実に目覚めた友人のなかでポツポツ内定をもらう者が出始め、焦りを感じてきた。
 そんなある日の友人達との就職情報交換の場で、「お前はコナカでも受けてみたら」と言われた。紳士服のコナカは劇的に店舗数を増やす新進企業として注目され始めていた。しかしそれより我々にとってインパクトがあったのはコナカのスーツを着た松平健が妙なステップで踊るCMだった。当時のオシャレというベクトルとは正反対のスーツ、トレンディとは対局にいる松平、そのあまりにダサイCMが逆に話題になっていた。その頃私は松平健に似ていると言われていた。そこで、「お前が行ったら内定だよ」とそそのかされ、こっちもネタになるだろうくらいの気持ちでアポイントを取った。
 最初の説明会には30人ほどの学生が集まっていた。始めに一人一人自己紹介をし、質疑応答が行われ、その後会社側から全員に質問があった。「我が社の設立日は11月23日ですが、この日は何の日かわかりますか?」。何人かの学生が指名されたが答えられずにいたので、私が挙手して「勤労感謝の日」と答えたところ、企業側の席から「ほー」という感じの反応があった。
 すぐに個人面談に移ったが、私はいきなり役員面接になっていて、もうその場でほぼ内定という感じだった。それから数日後に呼び出しがあって、条件面などの話になった。「君には半年ほどの研修で、すぐに店長を勤めて欲しい」と言われた。店長になると年俸は500万ほどになるという。一流企業であっても初年度から年収300万には届かない時代に破格の待遇であった。それでも私はずっと店舗というのも嫌だったので、「宣伝部に入りたいのですが」と言ったところ、「まずは3年現場で学んで貰って、その後宣伝部に移ってもらう」とまで言ってもらえた。マツケン効果なのか、不思議なほどスムーズに進んだ。
 役員の方からも何度かお電話をいただいたのだが、どうにも決めかねていた。その時、初めて自分の生き方について真剣に考えた。ここで人生を決めてしまっていいのか、コナカでスーツを売るのがやりたかった事なのか? もっと本当にやりたい仕事があったのではないのか? 迷いを断ち切れるような、そして良くしてくれた先方にも納得して貰えるような決定的な何かを必死に探した。そして企業案内を何度か見ると、休日が水曜日とという部分に目がとまった。皆と休みが合わないのは非常に寂しいのではないか、そう思って、「土日に休みたいので」という理由で内定辞退の連絡を入れた。

 その後コナカは大躍進をとげ、今では一部上場の一流企業になっている。果たしてあの時、コナカに行っていたらどうなっていただろう。あれだけの気に入られようだったのだから、きっと今頃役員になっていたのは間違いない。そして社員株も割り当てられ、上場とともに巨額の富を得ていたはずだ。

 これまで何度かあった人生の岐路で、もし別の選択をしていたら……あの時言えなかった言葉、起こせなかった行動……。過去を懐かしく想い出す時、選ばれなかった別の人生、ついそんな空想にふけってしまうことがある。
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2009年03月06日

日本負けろと思ってしまう自分

 ついに始まりました。世界最大のスポーツの祭典、ワールド・ベースボール・クラシック! こんな世紀のイベントが日本で見られるってんだから、もう行くしかないでしょう。ということで行って来ました中国戦。

 私はスポーツで日本人や日本チームが活躍するのが嫌だった。けしてスポーツが嫌いなわけではない。むしろスポーツこそすべてと言ってもいいくらいだ。だから大層な日本人選手の持ち上げられ方がどうしても受け入れられないのだ。例えばオリンピック。せっかく世界レベルの技が見られるチャンスだというのに、日本人が得意な競技、活躍する競技ばかりが偏重される。柔道なんて、日本がメダルをとって当たり前の競技だと思うのだ。さすがに競泳の北島は凄い選手だと思うが、そのために北島のリプレイが何度も繰り返されたり、同じインタビューが10回くらい流されたり、北島の地元の応援風景が流されたりスタジオのタレントがコメントしたりすることで、マイケル・フェルプスの中継が減らされてしまうことがたまらない。
 石川遼は素晴らしい潜在能力を持っていると思うが、彼が出場することで、きっと今年のマスターズの報道はひどいことになるだろう。
 スポーツイベントの頂点と言えば、サッカーのワールドカップだが、日本が本選に出るようになってから、あまり見なくなってしまった。日本人プレーヤーが嫌いなのではない。それに乗じた盛り上がりが不快なのだ。こうなってくると次第に日本の負けをさえ願うようになる。
 しかし、それをストレートに言ってしまうと、非国民と非難されそうで隠している自分も情けない。友人の家に集ってワールドカップを見ている時、日本が失点しようものなら皆、「今のは絶対ファールだろ!」などと憤る。私も「その前に、オフサイドもあったよな」などと言いながら、心の中では「ヨシ!」と思っているわけである。

 ところがである。そんな自分が3年前のWBCの日本の優勝には感動してしまった。「感動」なんて陳腐な表現を使うほどに素直に嬉しかったし、選手達を誇りに思った。野球なんてごく限られた一部の地域のマイナースポーツかもしれない。さらにWBCに本気で臨んでいる国はあまりなかったのかもしれない。それでも、私には彼らが本当に優れたアスリートに感じられた。出場チームの中でパワーこそ足りなかったが、守備力、コントロールやスピードでは日本が勝っていたと思う。そして何よりも私がスポーツに大切だと思うプレーの美しさがあった。
 
 よくお金がある所に才能が流れるという。Jリーガーで1億貰っているのはわずか数人に過ぎない。プロ野球選手であれば、ほとんど知られていない選手でも5年くらいレギュラーを勤めていると、いつのまにか1億円プレーヤーになっていたりする。今、若者にとって最も人気のあるスポーツはサッカーだと思うが、日本のスポーツ界を見ると、いまだに才能のあるアスリートは野球に流れているような気がする。
 サッカーの日本代表と野球の日本代表を比べたら……こう言えばわかって貰えるのではないか。イチローのような存在の司令塔がいたら、ダルビッシュのようなフォワードがいたら、サッカーファンならきっと考えるのはでないかと思うのだ。

 さて肝心の中国戦。たしかに日本チームの攻撃にはあまり良いところがなかった。始まる前はすぐに20点くらい取ってしまって、5回コールドじゃつまらないな、と心配していたくらいなのに。投手はまずまずの出来。ダルビッシュの評価は高いようだったが、彼の本当の力はこんなものではないと思う。誰一人ボールにかすらせずに全員三振、くらいのピッチングを見せて欲しかった。
 それでも球場に足を運んで良かったなと思ったことがある。日本チームの守備練習は、スピード感があって見ていてすごく楽しかった。そして何より、彼らのプレーがとても美しかったのだ。
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将棋界の一番長い日

生まれ変わったら何になりたいか?
これには何時でも即答できる。将棋指し。

バックグラウンドも道具も人格も関係ない。
あるのは強いか弱いかだけ、という潔さがいい。
そして将棋を打っている時の充実感。
人間は脳の6%しか使っていないと言われるが、
将棋を打っているときの自分は30%くらいは
使っているような気がする。

ただし将棋のプロになるのはとても大変だ。
プロの養成施設の「奨励会」というものに入って、その中で6級から順にクリアして3段までたどり着かなければならない。3段になると30人程でリーグ戦を行い、その中の上位2人が晴れてプロになれる。リーグ戦は年2回なので、プロに昇格できるのは年にわずか4人。プロになるのが最も難しいのが将棋、と言われるゆえんである。

さらにプロになってから頂点の名人まで、この道も険しい。
最初はC2から始まってC1、B2、B1と経てトップリーグのA級での1年のリーグ戦を制し、はれて現名人と闘う権利を得る。
各リーグへ昇級できるのは年に2人ほど、例えばC2には40人ほどいて上のC1に上がれるのはたったの3人である。難関をくぐり抜けたプロの中でもごく一部の天才だけがたどり着けるのがA級リーグなのである。
さて、表題の「将棋界の一番長い日」とはこのA級のリーグ戦の最終日を言う。この日に名人に挑戦するトップが決まる、と同時に2人が下のリーグに陥落する。A級には10人いるので全部で5局、名人への執念とA級の生き残りをかけて凄まじい勝負が繰り広げられる。

この熱き一日を感じるために、私は小雪が舞うなか千駄ヶ谷の将棋会館に向かった。実際の対局を見られるわけではないが、会場では大きな将棋盤を使って、プロ棋士が試合経過を解説してくれる。そして独特の緊張感も味わえる。
今年の一番のトピックは谷川幸司初のA級陥落なるか。
谷川は羽生善治の前に一時代を築き、羽生とも幾度も名勝負を繰り広げたスター棋士で、詰めにもって行く鮮やかな手腕は「光速の寄せ」と知られ、その魅せる将棋には、ファンが非常に多い。
谷川は10代でA級に上り詰めて以来26年間
これまで一度も陥落のピンチに陥ったことはなかった。
谷川陥落、これは10年前の米長陥落以来の衝撃である。
その米長邦雄の陥落の瞬間を私はテレビの生中継で見ていた。

米長は名人位も獲った実力者で、当時最も人気のある棋士でもあった。その米長は常々A級リーグから陥落したら引退すると宣言していた。しかし平成10年のA級リーグの最終局を迎え米長は陥落の危機にあった。その時、米長は50代半ばといえ、まだまだトップクラスの力を持っていた。
実力、人気を兼ね備えた棋士の早すぎる引退!?
この年の「将棋界の一番長い日」は大変な注目を集めていた。
米長が生き残る条件は二つ、まず対戦相手の加藤九段に勝つこと。さらに別の対局で井上八段が島八段に負けること。
米長vs加藤は一進一退の白熱の闘いが続いていた。一方、井上vs島も攻防が深夜まで続いたがついに井上が勝利した。
この瞬間、米長の陥落が決まった。
米長、加藤戦はいまだ決着が着かず。
井上戦の結果を知るよしもない、必死の米長がせつなかった。
そして、ついに米長が激戦を制した。
勝負が終わると同時に大勢の報道陣が襖を開けて入り込んでくる。この時、米長は悟った。これだけの取材陣が集まったということがどういうことなのか。勝った米長はテレビカメラの前に終始無言だった。

それからほぼ10年後の今年、3月3日。
首都圏でも夜には大雪になると伝えられていたのに、
大盤解説の会場には入りきれないくらいの人で溢れていた。
その多くは谷川の残留を願っているようだった。
全部で5つの対戦をリアルタイムで次々に解説していくのだが、
谷川の棋譜が並んだ時は、会場の空気が一変する。
勝負の中盤、相手の鈴木八段の攻めに対し執拗なまでに防御を固める谷川。相手の剣を鼻先でかわし切り込んでいくという、谷川らしい美しさが微塵も感じられない。プライドを捨ててまで勝ちにいく必死さが伝わってくる。そして鈴木八段の攻めをすべてつぶした後は、いつもの谷川の姿だった。正解にたどりつくたった一本の道に相手を追い込む、まさに「光速の寄せ」だった。
谷川の勝利が伝えられた時、会場には一瞬どよめきが起こり、
すぐにそれは拍手に変わった。

大盤解説なんていうと、一般の人は入り込めない特殊な世界のように感じるかもしれないが、駒を並べられてルールが分かる、というくらいの人でも絶対に楽しめるはずだ。解説も丁寧で話しも面白く、勝負の緊張感も味わえる。私だって、特別将棋が強いわけでもなく将棋マニアというわけでもない。

自分がそれほど馴染みのない世界でも、一流のプロに触れると
なんとなく世界観が広がったように感じる。たとえばクラシックをそれほど知らなくても、海外の著名なオーケストラを見てみたり、名人と呼ばれる落語家を生で体験したり。雰囲気だけでも、その素晴らしさを感じ取れるはずだ。
そんな時、とても贅沢な時間を過ごしている気分になれるのだ。
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2009年02月17日

FX始めました(おしまい)

始めてたかだか2週間にすぎないが、
FXについて、一言で言うと
「くだらない」ということだ。
お金を動かすだけで利益を得ようとする、
そこには何も生まれない。

主婦がFXで気軽に月2〜3万のお小遣いを、
なんて薦めがあるが、同じくらいの時間を
自宅のパソコンの前で過ごすなら
葬儀屋の顧客データ管理のアルバイトを
した方が絶対いいと思う。
FXで2〜3万稼ぐ人がいれば、同様に損をする人もいる。
いやそれ以上に負債を抱える人も大勢いるのだ。

FXを始めると、国際情勢に興味を持てるという利点を
挙げる人もいるが、それは確かに一理ある。
世界の様々な動きが為替相場に影響してくるからだ。
特に各国の金利政策、景気動向などの経済指標には
わかりやすいくらいダイレクトに反応がある。
経済以外のニュースでも、例えばヨーロッパ全土で
ペストが大流行した時はユーロが10円くらい下がったし、
動物愛護のためオーストラリア主要3州の動物園で
コアラの抱っこが禁止になりました、
というニュースでオーストラリア$が10銭くらい下がる。

しかし、何も生み出さない人たちが海外情勢に精通しても、
結局、何の意味もないのではないか。

人というのは創造してこそ人なのだと思う。
人類はたしかに地球環境を破壊してきたかもしれないが、
それでも私は、人は創造することで進歩してきたと信じたい。
文明国に住む現代人の心は荒廃していると言われるが、
明日の食べ物を心配しなければならなかった人々、
暴力によって物事を解決しなければならなかった人々が
平穏な心でいられたのだろうか。
40までしか生きられぬ人生よりも
80まで生きられる人生の方が良いと思うのだ。
生まれながらに身分が決まっている人生よりも
努力が報いられる(少なくともそう見える)
人生の方が良いと思うのだ。
もちろん、こんな状況に無い人々もいまだに多くいるだろうが。

マネーゲームは何も創造しない。
ましてやレバレッジなど持ち金の何倍もの
お金を動かすことに、いったい何の意味があるのだろう。

しかし、これだけのことを言っておきながら、
じつは、私はまだFXを続けている。
FXがなぜダメなのか、つまりはこういうことなのだ。

一つ言い訳させてもらうと
前回紹介したスワップポイントというもの、
これで本当に1年100万も貯まるのか、
どうしても結果が知りたい。
それに、ちょっと言いづらいのだが、
このところの少しの円安でけっこう利益が出てしまっているのだ。
もしこのまま円安が続き半年前の水準まで相場が戻れば
私は数千万を手にすることになるだろう。

そうなったら、FXはもう止めにして、
星空の綺麗な高原に移り住んで、
ささやかなペンションを始めようと思う。(了)
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2009年02月02日

FX始めました(その3)

 なんとか持ちこたえて、危篤状態は乗り越えた。しかしまだ予断を許さず小康状態。
 詳細を確認すると一番の問題であったポンドが持ち直していて、マイナスも数万におさまっている。本当ならここで売ってしまうべきなのだ。イギリスの低迷は長期に渡るだろうという観測が支配的で、下がる可能性はあっても上がる可能性は見当たらない。でもマイナスで精算する、これが出来ないのだ。
 FXで勝つためには、潔く損を確定させるのが絶対条件だという。でも本当にこれが難しい。あきらかに負けと分かっていても、ほんの少し無理矢理でも希望があれば、それにすがってしまうのが人間というものだ。あなただって、きっとそうだ。
 そしてこんな時、人はそのマイナス分を取り返すために、さらに、その負けの中に突き進んでしまうものだ。絶対無理、あきらかに負けと分かっていてもあきらめきれない。
 結局、さらに挽回するためにオーストラリア$とニュージーランド$を買い足してしまう。人はこうして堕ちていくものなのだなあと。
 それに今回の投資はスワップポイントを当てにしてのものでもあるので、出来るだけ長く保持しておきたいという気持ちもある。スワップポイントとは、日本円でオーストラリア$を買った場合、現在の日本円の金利が年利0.1%に対し、例えばオーストラリア$は年利4.25%なので、その差額つまりほぼ4%くらいの金利を毎日受け取ることができる。FXの場合、レバレッジをかけているので例えば100倍であれば1万の元金が100万に、これに4%の金利がつくのでスワップポイントで4万の利益。元金に対して年利400%もの利益を得られることになる。これは「投資してくれればあなたのお金を倍にします」という金融詐欺も真っ青の話しだ。
 私の場合、現在このスワップポイントが日に3000円ほど入る。1日3000円あれば人は暮らせるだろう。さらに言うと、これが1年続くとなんと100万もの大金を得ることになってしまう。こんな事が許されていいのだろうか、何か間違っているのでは。こちらが提供しているのは小額のあくまで仮想のお金なのに、それに対してリアルな金利が支払われる。こんなシステムはきっとどこかで破綻するのではないだろうか。

 相変わらずマイナス基調ではあるが、動きがだいぶ落ち着いてきたので、あと1週間ほど様子を見て、今回実体験してみたFXというものについて、総括してみたいと思う。(続く)
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2009年01月29日

FX始めました(その2)

 朝さっそくチェックしてみるとややマイナス。昨晩ちょっと考えたのだが、オーストラリアとニュージーランドは同じ経済圏なので値動きが似てくる。そこでバランスをとるために他の外貨にも手を出すことにする。
 物色してみると、なんとユーロが115円で買えるではないか。数年前にフランスに行った時は1ユーロ、160円くらいだったはず。これはお買い得とすぐさまクリック。
 さらにポンドを見ると、こちらも123円という値が。10年くらい前にイギリスに行った時は1ポンド200円だったなあ、と感慨深くこちらもクリック。その後、2件続けて来客があり3時間ほど話し込んだ後、デスクに戻った。

 画面をみてみると−600000という文字が。一桁違ちがうんじゃないの? 何度も見るがやはり数字は変わらない。これって投資額をとっくに超えてるんじゃ……。あまりの出来事に呆然。詳細をチェックしてみるとポンドが4円も下がっていた。
 TVのニュースの最後に「株と為替の値動きです」と興味の無い人にはどうでもいい1$=89円90銭といった情報が流されるが、だいたい値動きは数十銭の単位で収まるのが通常だ。1日の中で上下することはあるが1円の円高、円安というのはそれなりに大きな動きなのだ。それがたった3時間で4円! イギリスに核でも落ちたのかとあわててネットで検索する。するとイギリスのGDPが−1.6%と発表されたことがトップニュースになっている。つまりイギリス経済は大きく景気後退しているということだ。
 素人の浅はかさ。ちゃんと為替を見ている人なら、今日こういった発表があることはわかっているはずで、その数字を見ながら相場に手を出すべきだったのだ。あるいはそんな事は予想済で挑むべきなのだ。
 そんな気分にさらに追い打ちをかけるようにロスカットアラートの通知メールが届く。「ロスカット」とはマイナスがかさむとそれ以上損失を出さないように、強制的に決済されてしまうシステムのこと。これが発動されると持ち金を没収されるだけでなく、場合によっては追加の負債を取り立てられる。ロスカットアラートとは、「そろそろヤバイです」という警告メールである。この危機を脱するにはさらに資金を追加するしかないのだが、それをやればさらに深みにはまる。すでに午後3時を過ぎていて、今日中の振込はできないのは幸いだったというべきか。
 ロスカットは条件によって異なるが、今回の取引では当初の証拠金に対する現在の有効証拠金(証拠金から損失を引いたもの)が50%を切ると発動される。
 じっと画面をみつめると80%、70%と数字が下がってくる。そしてついに60%台に、見たくはないが見ずにはいられない。……そこでやっと小康状態が続く。
 しばらくしてやや持ち直し80%台へ。それでも崖っぷちであることは変わらない。このまま画面を見ていても自分に出来ることは何もないので、あきらめてパソコンの電源を落とす。
 その後のニュースで、ポンドが史上最低値を記録したことを知る。私はその歴史的瞬間を体感していたわけだ。そう思うくらいしか救いがない。「100年に一度のチャンス」を3時間ほど間違えてしまった。
 今夜、眠れるのだろうか。(続く)
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2009年01月27日

FX始めました(その1)

 人に会う度に「いい加減にブログを更新せぇ」と言われる。
 すでに出来上がっているものが何本かあるのだけれど、何度か書き直ししているうちにタイミングを逸してしまった。これらは近々アップするが、繋ぎとして、あまり考えずに書けるリアルタイムでの報告を数回続けます。

 知人がやってきて「今はFXですよ! 絶対です! 100年に一度のチャンスですよ!」とまくしたてた。「100年に一度」今この時期になんと説得力のあるお言葉。たしかにこの所の円高は異様だなぁとは思っていて、興味はあった。残り少ない人生、ここで一発逆転か。

FXとは説明するまでもないだろうが「外国為替証拠金取引」のことで、まあ、外国のお金を売ったり買ったりしながらその差額の利益を求めるのが目的。さらに日本円で外貨を買った場合、スワップポイントと言い、外貨との金利差を日割りで得ることができる(スワップポイントについては後の回で触れる)。
 外貨預金と比べた場合、手数料が格安で投資額の何倍もの取引ができるのが魅力、というか恐ろしい罠でもある。何倍の取引をするかをレバレッジと言い、最高で400倍くらいのレバレッジをかけられる。つまり日本円で1万円用意すれば、400万円分の外貨が購入できるという無謀なシステムだ。

 FXの始め方を教わって、為替事業者にネットで申し込みをすると簡単に口座が開けた。その口座に虎の子の貯金を振り込めば、すぐに投資が始められる。パソコンの画面上に各外貨の値動きがリアルタイムに表示されるので、欲しい銘柄を欲しいタイミングでクリックすれば簡単に買うことができる。
 その他、自分が買いたい値や売りたい値、あるいは下がってしまった場合に手放す値などをセットする方法もあるが、そんなめんどくさい事は一切やりたくない。買ったら放置、これでいくことにする。
 今回は外貨の上昇とスワップポイントを狙っての投資である。銀行の店頭でよく見る「オーストラリア外貨預金年利8%」などという魅惑的なポスターにそそられていたので、まずは金利の高いオーストラリア$とニュージーランド$を高めのレバレッジで小額買ってみる。
 価格は常に細かく動いていて自分の投資が+になったり−になったりを繰り返すのだが、あまりに小額なので動きが地味。これではつまらないので一気に投資額を増やす。するととたんにドラマチックに動き始めた。それも悪い方向に。
 見る間にマイナスがかさんでいき、1時間ほどでなんと−100000の損失に。とても悲しい気持ちになってしまった。しかしそのうちに値を戻し始め今度は+100000に。これは楽勝、と思ったが考えてみれば数時間の間に20万ものお金が動いた事になる。なんだかとても恐ろしい世界に足を踏み入れてしまったのではと少し後悔し始める。
 結局その後は+−2〜3万の間を繰り返し、小さな動きだなと放っておくことにした。
 この時点でもう金銭感覚がおかしくなっている。(続く)

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2006年12月14日

6 憲法九条

 我が敬愛する後藤田正晴氏が亡くなって1年以上が経つ。
 彼ほど、人々の評価が時期により変遷していった政治家も珍しいのではないだろうか。警察官僚出身で自衛隊の立ち上げにも深く関与し、頂点に立つ田中角栄の腹心であった時期には、強権的なタカ派と見られていた。しかし、田中が権力の座から去り、中曾根内閣の官房長官に就いた頃には、逆に海外派兵に積極的だった中曾根首相をいさめるなど、自民党にあってのハト派の象徴のように言われ始める。
 しかし、当の後藤田本人の主張は始めから一貫して変わっていなかった。彼は自らの悲惨な戦争体験から、日本は二度と戦争に関わってはならないと銘記していた。
 後藤田氏は晩年「自分の目の黒いうちは憲法九条は絶対に変えさせない」と語っていた。彼がいなくなり、日本は今憲法改正の方向に動きつつある。

 国が国益を守るため、武力が必要であるというのは理解できる。しかし、理屈でなく、感情で私は戦争を否定する。それは人が人を殺してはいけないといった倫理的なことでなく、また人類は暴力を放棄すべきといった高邁な思想に基づくわけでなく、ただひたすら怖いのだ。自分が殺されること、人が平然と殺されるといった状況に置かれること、そして自分も人を殺すことを強要されること。とにかく恐ろしくてたまらない。
 だから、私はほんの少しでも戦争に向かう可能性が増す憲法九条改正には反対なのである。

 その憲法擁護論者である太田光氏の新刊を弊社で刊行した。
 最近の彼は左翼系文化人の代表のように見られているが、彼自身は右とか左とかいった寄った思想信条は持っていない。ただ人類は理想として平和を標榜すべきという信念は固い。
 本書の中で彼は憲法、戦争、犯罪、日本の在り方についてあますことなく語っている。しかしその中で彼が最も伝えたいのは、自分自身で考えることの大切さであると思う。ある決まった思想に凝り固まったり、世間の動きに惑わされず、オリジナルの思考を持つこと。そして周囲に流されることなく、自分自身の考えを貫くこと。一つのカテゴリーに取り込まれてしまうと、視野が狭くなって本質を見失ってしまう。
 太田光が「この本を出すことが、ここ数年の活動の集大成」とまで言う『トリックスターから、空へ』。是非、一度読んでいただければ幸いである。

太田新刊カバー.jpg

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2006年09月29日

5 信長の野望と三国志

 前に全然働かないという話を書いたら、当時の会社関係者からお叱りを受けたり、仕事相手からすっかり軽蔑されてしまった。そこで今回その言い訳ではないが、さらにその前の会社での働きぶりはそんなものではなかった、ということを紹介しよう。

 その社で私はパソコンのゲーム誌を担当していた。当時、パソコンは今みたいに一般には普及していなく、ごく一部のマニアのための機械であった。インターネットもメールも無い時代である。当然、私もそんなものには1ビットも興味はなかったが、ただたまらなく好きなゲームが2つだけあった。「信長の野望」と「三国志」、シミレーションゲーム初期の傑作である。大学時代の先輩宅で初めてこのゲームに触れたときの衝撃は忘れない。あまりの面白さに、毎日通ってついには出禁になってしまった。
 それでもゲームの事が頭から離れない。つまり私がゲーム誌を志望したのは、たんにこのゲームがやりたかったからなのだ。
 職場においてパソコンを全くいじれない私が出来るのは、ただひたすらゲームをやりつづけること。まずは「信長の野望」だ。奥が深いゲームで、一度全国制覇しても、今度は信長以外の武将でいろいろと試したくなってくる。その頃の私は残業も厭わず、ゲームに熱中し過ぎて終電を逃すこともしばしばだった。
 そうこうするうちに2カ月ほどが経ち、さすがに疲れてきた。さて次はお待ちかねの「三国志」。こっちの方がよりスケールが大きく緻密なゲームである。
 そんな私に対し会社側は始めは静観していたが、しびれをきらし遂に任務を与えてきた。それは年度末のゲーム総カタログの書店向け宣伝チラシを作るという仕事だ。私はパソコンはさっぱりだが、デザインにはちょっと自信があった。そこで考えついたのが、大きなトリのお腹にパソコンのゲーム画面が並んでいるというものだった。その案を早速編集長に報告すると、1分くらい黙ってしまって、その後「やってみなさい」と一言だけ言った。
 チラシ1枚ごとき集中すればすぐに出来るのだが、私には「三国志」という使命があった。で、ゲームの合間に思い出したようにレイアウトなどするので、遅々として進まない。その分、三国志の方は快調だった。そして数カ月後にはやはりあらかたの事はやり尽くしてしまった。
 最後に思いついたのは、歴史の真実は如何に!?ということだ。このゲームは武将をコンピュータにコントロールさせるという機能があった。そこで登場するすべての武将をコンピュータにやらせてみたのだ。私はただじっと画面を眺めているだけである。それでも途中まではエキサイティングだった。そのうちだんだん妙な事になってきた。頻繁に行われていた戦いが激減したのだ。
 このゲームは史実に基づいて登場人物のおおよその寿命が決められているため、だんだんと武将が減っていき、ついには全く戦いが行われなくなってしまったのだ。
 残る興味は、最後に生き残るのは誰かということだ。ただひたすらに時が過ぎるのを待ち、武将が死亡したという報告画面をだけ見続けて1週間、ついに歴史の真相が明かされる。
 最後に残ったのは……諸葛孔明のライバル司馬懿忠達の血を引く「司馬炎」であった。実際の歴史でもこの司馬炎は三国の時代を終わらせ、新しい「晋」の初代皇帝となっている。ということでめでたしめでたし。
 丁度その頃、チラシの仕事も一段落ついた。やるべきことは全て終えた。
 結局、私がその会社に在籍した半年の間でやったことといえば、トリのお腹にゲーム画面が配されたB5サイズのチラシを1枚作っただけである。まさに動かざること山の如し。
 
 
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