2006年08月07日

3 フランスで失われた2つの物語

 スポーツを観る際に一番楽しいのは、自分の中に物語を持ってあれこれ想像している時だろう。今年のW杯で次第に調子を上げてきたフランスに、ジダンの有終の美という物語を描いたファンは多かったはずだ。今大会、けして特別な存在でなかったジダンがMVPに選ばれたのも、記者達がそんな思い入れを持って決勝を観ていた証だろう。しかし、その物語は誰もが予想もしない終焉を迎えた。

 ランス・アームストロングという不世出なヒーロー引退後の今年のツール・ド・フランス、彼の永年のライバルだったウルリッヒと、後継者であるバッソの一騎打ちに胸躍らせたファンは多かったろう。しかしレース直前にこの2人はドーピング疑惑で大会を去っていった。そして、今年の優勝者までもがドーピング問題にさらされている。

 ツール・ド・フランスは日本ではメジャーではないが、オリンピック、サッカーのW杯と並び世界の3大スポーツイベントと表されるほど欧米では人気がある。
 私はこれまでいろいろなスポーツを堪能したが、自転車のロード・レースほど奥が深く、魅了された競技はない。是非、一度でいいから観ていただきたい。最初はなんで真剣勝負なのに、順番に先頭を譲り合っているんだろうとか、1人のエースを勝たせるためになんで大勢のチームメートが必要なんだろう、などと不思議に思うだろう。でも1年観てしまうと、もう離れられなくなっているはずだ。
 幸いにも今年、現地でツール・ド・フランスを取材する機会を得た。テレビ中継では知ることのできなかった大きな魅力を発見できた。それはツールはスポーツであると同時に巨大なイベントであるということだ。3大スポーツイベントと呼ばれるわけが初めて理解できた。
 これはフランスが国家の威信をかけた一大事業なのだ。フランス国内、さらに近隣のヨーロッパ諸国を3週間かけて回っていく、雄大なお祭りなのだ。
 レース前には色とりどりにデコレーションされた数百台の車がコースを回っていく。まるでディズニーランドのパレードのようだ。車からはたくさんのグッズがばらまかれる。そのグッズを手に沿道で声援を送る子供たち。家からテーブルやイスを運んでワインを飲みながら観戦する人々。パレードが去ってしばらくすると、大会関係車がやってくる。その数がだんだんと増えてきて、警察のオートバイが走り抜け、報道関係車が通りすぎると、ついに英雄たちの登場となる。
 すでにツールに興味を持たれている方は是非、現地に行って欲しい。必ずツールの新たな楽しみを体験できるに違いない。

 ジダンの事件は幸いにも、あまりネガティブには受け取られなかったようだ。ツールのドーピング問題はまだ混沌としているが、私はこの競技の面白さをなんとか伝えていきたいと思っている。

 日本のスポーツ界でもW杯での惨敗、巨人戦視聴率の凋落、ボクシング世界戦での判定への疑問……。送り手が物語を押しつけるのはおこがましいということだろう。

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ランディスのマイヨ・ジョーヌの行方は何処へ

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第19ステージ、個人タイムトライアル、CSCのザブリスキーを背後から追走。2人抜きの快走でこの日6位に入った。

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2006年07月14日

2 働かざるもの食うべからず

 ラーメンも好きだが、猫舌なのでつけ麺が大好物。つけ麺の総本山、池袋大勝軒で初めて食した時はまさに私のためのラーメンと思ったものだ。

 つけ麺にはまっている当時、勤めていた会社は午前9時が始業時間だったが、私はなぜだか11時頃出社するのが常であった。席に着くとまずコーヒーを煎れる。そして朝日、読売、毎日、日経と会社に届いた新聞にゆっくりと目を通す。そうこうしているうちに昼時になる。
 その頃には頭の中につけ麺が浮かんでくる。「ああ、大勝軒のつけ麺が食べたいな」そう思ってしまうと、もうダメだ。「つけ麺、つけ麺、大勝軒、大勝軒」と頭の中が一杯になって、ついに会社を飛び出し駅に向かってしまう。
 大勝軒に行かれた方ならおわかりと思うが、とにかくこの店の行列はひどい。2時間くらい平気で待たされる。会社から店まで往復で1時間半、行列2時間、食事30分となると、社に戻る頃にはすっかり夕方になってしまう。で、席に戻るとまずコーヒーを一杯。ちょうど頃合い良く夕刊が届くので、一紙ずつ丹念に眺める。私は終業時間には比較的厳しい方なので、時計が規定の5時半を回る頃には帰り支度を始めるのだった。
 もちろん、いくらつけ麺好きでも、毎日大勝軒では飽きる。他に2店、お気に入りの店があった。一つは高田馬場の名店「べんてん」。ここのつけ麺は麺ののど越しが格別に良い。そしてもう一つは激辛好きの聖地「中本」。ここの名物のつけ麺「冷やしみそ」を初めて頼んだ人は、目の前に運ばれた料理に思わず笑ってしまうだろう。全面唐辛子といった地獄のようなスープ。しかし慣れてくるとその恐ろしいほどの辛みのなかに潜んでいる旨味から離れられなくなるのである。
「べんてん」は「大勝軒」ほどは並ばずに食べられるが、なんせ麺が美味いもんだからついつい食べ過ぎてしまい、ぐったりしてその日は仕事にならない。「中本」に行くとあまりの辛さに頭がぼーっとして使い物にならなくなる。そんなわけで当時、ウィークデイ5日間のうち3日はつけ麺に振り回される日々であった。

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※「中本」の冷やしみその図
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2006年07月13日

1 3冊の本

 一編集者の戯れ言にお付き合いください。ここでは、私が興味を持ったモノや事柄について記してみたいと思う。まず初回は私が今の仕事を選ぶきっかけとなった3冊の本の話。

活字離れ?

 子供時代に戻りたいかと問われて、「はい」という人は案外少ないのではないだろうか。些細な事で舞い上がったり悩んだり、楽しい事もいっぱいあったが、傷つくこともたくさんあった。自分はあの頃より強くなったのだろうか、たんに鈍くなってしまっただけなのか。でも、そんな時代に出会えたからこそ幸運だったのが、リンドグレーンの作品群。彼女の紡ぐ物語には、自分がそこの住人のような気分になるほどに引き込まれていく。日々巻き起こる愉快な出来事。物語が残り少なくなった時、まだ読みたい、でも読んだらこの世界と別れなければならない、そんな気持ちで愛おしむようにページをめくった。かけがえのない想い出。
 幼少期にこんな作品に出会えたら、本から離れるなんてことはできなくなるはずだ。いつかは自分もそんな思いで読んでもらえる本を作りたいと思う。
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筒井康隆になりたかった

 小学校の卒業文集を久々に開いたら、将来の夢は「総理大臣になること」だった。どうしてそんな事を考えたのかまったく意味不明だが、とにかく偉い人になりたかったんだと思う。根拠のない自信に溢れていたその頃、筒井康隆の『おれに関する噂』を読んで、完全に打ちのめされた。その発想力、圧倒的な面白さ、世の中には本物の天才がいるもんだ。以後、中学3年間は、彼の本を読むことに費やした。「笑い」というものの持つ重要性、世の中のウラを読むこと、彼の作品から多くを学んだ。
 筒井康隆のような作家になりたいと思うこともあったが、文章を使っての笑いということでは、あらかたの手法は彼にやりつくされたように感じる。筒井康隆は笑いのみでなく文学の可能性を模索し、実験的な作品を手掛けていく。例えば『残像に口紅を』では、世界から一つずつ言葉が消えていくという恐ろしい手法で小説を書ききった。説明すると「あ」という言葉が消えれば、以降「あ」を使った単語、「悪」とか「愛」といった言葉が小説から消えていく。50音の1字ずつが順に使えなくなっていく中で、文章を成り立たせていくという超人的な野心作。この小説にとりかかっている時筒井氏は胃に穴をあけたという。出来上がった作品は単に実験的なだけでなく言葉の持つ力、それが失われていく儚さが伝わる傑作になっている。筒井の後に筒井無し、彼のような存在はもう現れないだろうが、若手の作家の中では乙一に近い感性を感じる。
 筒井康隆の最大の功績は、日本人の笑いの概念を変えたことだろう。日本の笑いのレベルを引き上げたのは間違いなくビートたけしだろうが、その土壌を築いたのは筒井康隆ではないかと思っている。
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人に貴賤はあるか


 人間に貴賤があるかはわからないが、生まれ育った環境にはあると思う。それは東京に生まれるか、埼玉に生まれるかということだ。埼玉の中学で育ち、東京の高校に入ってショックを受けたのが男がファッション誌を読んでいるという事実だった。埼玉では未成年男子が服を買う場合、親同伴と決まっていた。その時点で自分は文化的なハンディを負っていることに気付いた。
 そして大学の時評判になったのが、ホイチョイプロの『見栄講座』。当時のミーハーな若者文化を、煽るフリをしながらおちょくるという、全く類のないスタイルの本だった。なんてセンスの良い手法なんだろう、と感嘆すると同時に彼らと自分の埋められない差というものを感じた。彼らは各ジャンルの流行に精通し、最先端の知識を持っている。そしてそれを笑い飛ばす抜群の感性も持っている。ホイチョイはお坊ちゃん学校で知られる成蹊小からのメンバーで成り立つ。この感覚は育った環境が培ったものに違いない。その後、彼らは映画「私をスキーに連れてって」で自分たちの感覚を社会現象になる規模にまで認知させた。
 私がなぜ、編集者という職業を選んだかというと、自分自身のセンスを世の中に問いたい、という気持ちがあったからだ。彼らと自分との距離は縮まっているのだろうか? そう考える私にとってこの『見栄講座』はいまだ目標とする作品なのである。
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